【雑記】日々をインプットする

今月の前半はいろいろと観たり読んだりする機会が多かったので、備忘録がてらにあれこれ書いています。各作品のネタバレ等も含むので、閲覧の際はお気をつけください。


▼『怪盗フラヌールの巡回』を読んだ

 たいへんだ。フリーペーパー『240Q』を読んだ時点で大満足の心地だったのですが、本命も120%楽しんでしまった。西尾維新ありがとう。デビュー20周年おめでとうございます。
 最新作は怪盗が主人公になると聞いたときからどんな巡り合わせだよと思っていたのですが、全体を貫くテーマというか、目指されているコンセプトそのものが個人的に特効すぎて読んでいる間ずっと気絶しそうでした。なんか読了までに異常に時間かかったし、本当に途中で何回か気絶してたのかもしれない。
 『犯罪が仕事なわけがない。』でだいぶ嬉しくなっていたんですが、最後まで通して読むとふたりのお兄ちゃんたちも大概「コラーーー!!!」という感じでしたね。妹を犯罪に使うな!! でも父親殺しの機会を永遠に失った息子ふたりとちがって、末妹のふらのさんは『だいすきなパパ』を自らの手で葬り去るチャンスが残っているわけですからね。首洗って待ってろよ、お兄ちゃんたち。
 いうて散歩さんの安否というか生死というかも個人的にはちょっと疑っていて、先々に向けて何かしら仕込んであるんじゃないかな〜とは思っています。死に顔がわからない死体の身元は信じないに限る。自分で書いててダメージ受けてきた。
 続刊予告もタイトルからしてワックワクのドッキドキでしたし、ひとまず3巻発行まではがんばって生きねばなと思いました。妹のパパ殺し、楽しみだなー。


▼合同誌『Archetype』を拝読した

 COMITIA141 にて頒布された合同誌『Archetype』を通販しました。頒布告知を見たときから実物を手に取りたいと強く希望していたので、自分の手元に置くことができて本当に嬉しかったです。実際、ページをめくるたびにマテリアルの手触りが真に迫る意味を持っていく一冊で、読み進めるごとに「自分も良いモノつくりてぇ〜……!」の気持ちにさせられる、パワフルな合同誌でした。
 雑誌のかたちをとって参加者各位が記事や付録を用意しているのですが、どれもこの人にしかつくれないコンテンツなんだろうな……と直感する個性的な視点に溢れていて、なんかもうここに並ぶ御託はどうでもいいから実物を見てくれ!!と暴れたくなるのですが、既に完売しているという……。でもこの出来上がりのラインを個人制作としてやり繰りする限界は容易に想像がつくので、何よりも「制作お疲れさまでした」の言葉で以て迎えたいところです。CDの印刷面を見たとき『物質』として完璧すぎてちょっと笑っちゃったもんな。良いものを見ると人は笑ってしまう。嬉しいからね。
 当該文化についてまったく詳しくないので、素人目線での楽しみ方にはなってしまうのですが、グラフィティに関する対談記事が知らないことだらけですごく面白かったです。同封されていたステッカーもどれも素敵でカッコよくて、見た瞬間「貼りたい!」の気持ちになったのが印象的でした。個人的に、シールやステッカーは手に入れてもなんとなく勿体なくて使えなかったり、台紙から剥がさず眺めて満足したり……ということが多いのですが、Archetype に同封されていたステッカーは『物質と物質のぶつかり合い』がすごくわくわくする方向にはたらいていて、咄嗟に「これを別のモノに貼ったらどんなふうに見えるだろう?」と思ったんですよね。今まで自分の中に無かった感覚がパッと現れて、物質が持つ強度みたいなものを実感しました。


▼『ONE PIECE FILM RED』を観た

 もともとウタさんの楽曲を YouTube でしばしば視聴していて、これは劇場の音響で鑑賞したいなーと思っており、日々の隙間を縫うようにして観に行きました。原作は160話ちょっとしか読めていないので、はじめましてのキャラクターも多かったのですが、その辺りするっと受け取れるように調整されていて有難かったです。
 あのライブの一曲目が中田ヤスタカ楽曲ではじまるのかなり正しかったな。バーチャルの本来の意味は狭義の仮想空間ではなく、現実との代替可能性を担う情報量を持った別次元のこと! ウタワールドはまちがいなくバーチャル世界であり、それが新時代と呼ばれる所以が随所でオーバーラップしてゆくのが小気味良かったです。新時代の救世主は歌とダンスとドラマで決着をつける。
 映画を見に行く前から YouTube に限らずいろんな場所でウタさんの歌が聞こえてきており、出先で「あーこの曲ワンピの映画の……」「最近よく流れてるねえ」といった会話もしていたのですが、それを踏まえて観るエンディング映像がとにかく感慨深かったです。ウタさんの歌はこれからも人々の日常に融け込んでゆくのだな、という実感が自分の体験そのものによって証明される体験ができたので……。観に行けてよかったな。


▼『異セカイ系』を再読した

 最初に読んだのは2019年の年始だったかな? ゲンロンカフェのトークショーに行った直後だったと記憶しています。3年以上前だ……。
 先月からコミカライズのお仕事をさせていただいているのですが、ふと「自分が最初に読んだ異世界転生モノってなんだったっけ?」と思い、記憶を遡ったところどうも『異セカイ系』っぽいなということで、この機会に読み返しました。いや今再読してよかったなー。どちらが良いという話ではまったくなんですが、初読時とは明らかに自分への響き方というか、沁み込み方が違ったので。
 初読時は上位ランカーたちの軽妙なやりとりが特に好きで、それは再読しても変わりなかったポイントのひとつです。反目したり軽口を叩き合ったり、でも『小説を書くのが好き、小説が大切。』という思いで根底が繋がっている同士の微妙な関係性が見ていて楽しい。
 逆に初読時は終盤のスケール感に圧倒されてあまり飲み込めていないラスト部分が多かったのですが、再読時はするっと魂に入ってきて泣きそうになることが多かったです。『作者とキャラクターは愛し合えるか?』という問いはほとんど『人は、絶対に分かり合えない相手を、それでも大事にできるか?』という命題にひとしくて、だからこそあらゆる困難を見据えた先にあの結末が導き出されることのやさしさがぐっと来ましたね。作者にキャラクターの気持ちはわからない。人は他者の心を知ることはできない。それでもあなたには魂があって、それはとっても貴重なもので、その輝きをわたしは全力で守るよ。というお話にこのタイトルがついているのって本当に素敵だな。以前の読書体験があるからこそ比較して没入できるような感覚もあって、再読した意義が深々と沁み入る時間でした。


 追記として、8月末には『その可能性はすでに考えた(井上真偽 / 講談社)』を、今月一日には野際かえで先生の成人向け単行本『おもちゃの人生』を読んでいます。『おもちゃの人生』の感想は別所にまとめていたんですが、今は非公開になっているので改めて掲載したいな……ここに載せていいのか? まあ……いいか……本当に?
 『その可能性はすでに考えた』は友人に勧めてもらって読んだのですが、勧められた理由がよくわかる一冊でした。閉鎖的なコミュニティで兄妹同然に育った少年少女の絆って最高だ。

 最近インプットを欠かしがちだったので、久々に脳への入力情報が賑やかで楽しかったです。今後も観たい・読みたい・体験したいと思ったことにはなるべく食らいつくようにしたい。